「楽しくないよ」。まあ、そうかもしれない。上から目線にみえるかもしれないが、そういうこともあると思う。世の中にはつまらないことがたくさんあるし、だから外国語がつまらなくたって、それは別に可笑しなことじゃない。つまらなくっても、別に、いいと思う。外国語講師なんてしていてこんなことを言っては怒られるかもしれないが、でも、本当に、そう思う。つまらない人には、つまらない。皮肉じゃなく、それでいい。
でも、世の中には、それでいいと思わない人もたくさんいる。外国語を学ぶことの楽しさや意味について何処までも説明してくれる人がいる。ビジネスのわけだが、それでも、嘘ではないと思う。「こんなに楽しいよ? 意味があるし。有名なあの人もしてる。ほら、楽しい、おいで!」。
人が集まり楽しそうにしていると、電灯に誘われる蛾のように、ふらふらと近づいていってしまう気がする。縁あって南の島のとあるホテルに泊まったことがある。一泊数十万円くらいのとこだ。自分で払ったわけではないが、大変に期待して赴いた。「○○の大統領も大絶賛!」とのこと。ネットの口コミサイトも、天へでも舞ったのかというくらいの絶賛レヴュで溢れてる。誘ってくれた部屋の持ち主も結構なお金持ちだ。これは信用できる(?)。結果、どうだったか―――
なんでもいい。自分がなにかを本当に味わい、楽しみ、熱中している時のことを思い返してみて欲しい。誰かにその良さを説明している暇があるか? ないんじゃないかと思う。とにかく、「次へ、次へ」と感じ、それ以外のなにをするのも、もどかしいのではないか。食事も、お風呂も、寝ることだって、煩わしく感じるのではないか。楽しい、熱中するとは、そういうことだ。誰かにその良さを語る時間なんてない。語るとすれば、それはもう、つまらなくなった時だ。
いまの世の中にも、いいものはたくさんある。でもそれは、例外なく、目立たない。その良さを知っている人たちは、静かに、自分たちだけで、楽しんでいる。誰にも、基本的には、教えない。ただ、微笑を湛え、落ち着いて、囁き合っているだけだ。「説明」なんかとは無縁にみえる。「でも、有名なあの人が愛用!とか、あるじゃん?」。それはまあ、飽きたんでしょう。「出涸らしの茶といつまでも付き合っていても仕方ないし、捨てるくらいなら、売ろう」というビジネスでしょう。世の中で広く知られるようになった穴場、「とっておきの場所」って、大体、そんな感じだ。でもそんなことは、よく考えれば当たり前のことで、そんな穴場が、テレビやネットで簡単にみつかるわけがない。お金持ちに誘われたとしても、要注意だ(実体験)。まあ、お金は払わなかったから、よしとしている。ちなみにロケーションそのものは、とてもよかった。海も綺麗だし、あの島は、ホテルなんかない方が、いいだろう。
ふと、思う。こんなことを書いていると、まるでつまらないようにみえはしないか? 黙った方が、よくないか? そうかもしれない。静かにしておいた方がいいかもしれない。少なくとも、「外国語を学ぶことの楽しさ」についてなんて、語らない方が、いいだろう。
それじゃあまるで、つまらないみたいじゃない?
//fine​​​​​​​
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